miyabia’s blog

50代のシングルライフ

【傷つきたくない】悲しみから逃げないで

 

 
今、私の周りに、
片思いの女性に行動を起こすことで、
今の関係が終わってしまうんじゃないか?という不安から、
「傷つきたくない」と思って、
行動できないでいる男性がいます。
 
 
 
 
とても繊細な男性ですね。
だけど、私からすると、
随分と臆病な男性だと見えています。
とても裕福な家庭で育ってるのに。
 
 
 
 
誰でも「傷つきたくない」と思うことあると思います。
 
 
 
 
今回は「傷つきたくない」という気持ちの奥底を、私なりに探ってみました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「傷つきたくない」って、既に相手に傷つけられるのが、
前提のような気がする。
 
 
 
 
それって、最初から相手を信用してないってことをその男性は気づいてないみたい。
 
 
 
そもそも、信用してない女性が好きだなんて、ちょっと私には信じられない。
 
 
 
 
傷つきたくなくて、
その相手の女性と距離をとったり、
近づいたり、突き放したりして、
試したりしてる模様。
 
 
 
 
まずは、好きな相手を試す行為自体が、誠実じゃないよね?
てか、失礼だよ
 
 
 
 
私だったら、小細工してくるような男性に好意は持てないな。
失礼な男もごめんだ。
 
 
 
 
 
それに、「傷つきたくない」って、よく考えると、"損得勘定"なんだよね。
 
 
 
 
傷つくとは、
自分が損をすることでもあるし、
負けることでもある気がするから。
 
 
 
 
 
「傷つきたくない」なんて、
悲劇のヒロインみたいなイメージだけど、実は"損得勘定"してるってことは、
私が考えるには、その男性は、
ガッツリと「男性性たっぷり」の人なんだと思う。
 
 
 
 
「傷つきたくない」って思考は、
もしも相手とうまく行かなくなった時、
 
自分が先に傷つくことを恐れて、
自分が先に損をしたくなくて、
自分が先に負けたくなくて、
 
真っ先に自分から相手を傷つけに行くんじゃないかな?
 
 
 
 
「傷つきたくない」って、
一見自己防衛なんだけど、
実は「攻撃」の裏返しなんじゃないかな?
 
 
 
 
なんでこんなことを書くかというと、
先に自分が傷つくのが怖くて、
相手を傷つけることを、
先に言った経験が、
若い頃の、過去の私にあるから‥
 
 
 
 
そんなことしたから、当然お別れしました。
 
 
 
 
「傷つきたくない」という行動は、結局自分を傷つけちゃったんだよね‥
 
 
 
まぁ、好きな相手に傷つけられるなんて発想があるなら、もうその時点で終わってたんだよ。
 
 
 
 
傷つけられる=信用していない
傷つきたくない=損得勘定、自己防衛(攻撃になる場合も)
 
 
 
 
そんなの、好きと言えるのかな??
 
 
それに、傷つくって、悲しいよね?
 
 
 
 
悲しいとは女性性。
悲しい思いをしたくないってことは、実は女性性を排除してるんだよ。
 
 
 
 
男なのに、
女に振られて悲しいなんて、カッコ悪いとかね。
こんな考え自体が、女性性の軽視なんだよ。
 
 
 
 
心の中の女性性が悲しんでいたら、
心の中の男性性が励まして、笑顔にさせるんだよ。
 
 
 
 
性別が男でも女でも、
それぞれの性別が、
それぞれの心の中で
女性性を男性性が笑顔にするんだよ。
 
 
 
それができると、
現実の男性が現実の女性を励まし、笑顔にできるんだよ。
 
 
 
 
自分の心でリハーサルして、
現実でそれを披露するんだよ。
 
 
 
 
 
「嫌われたくない」
と思う男性は、
悲しみを感じたくないからじゃない?
そして、女性の悲しい顔が異常に苦手じゃない?
想像だけど‥
 
 
 
 
女性の悲しい顔は、
見たくない。
近づきたくない。
 
 
 
そんな感じ。
 
 
 
 
そうやって、これまで、
悲しむ女性を排除してきてない??
つまりは逃げてきた‥
 
 
 
 
女性の悲しい顔から逃げたのは、
自分が女性を笑顔にできなかったからじゃないの??
本当は笑顔にしたかったんじゃないの?
 
 
 
 
「悲しい」をたくさん経験するから、
「嬉しい」「楽しい」がより鮮明になるし、
人の痛みも分かるようになるんだよ。
 
 
 
 
「悲しい」は、女性特有の感情じゃない。
男性でも持ってていいんだよ。
 
 
 
 
だから、「悲しい」から逃げないで。
 
 

 

相手への不安の原因/取り除く方法

 

 

突然ですが、

 

 

 

「あの人は私のことをどう思ってるんだろう?」

 

 

 

と相手の気持ちに不安を持つこと、

ありますよね?

私にも経験があります。

 

 

 

ただ、いつの間にか、

私がそう思うことは、ほぼなくなりました。

 

 

 

私がそう思わなくなった理由を考えてみました。

 

 

 

 

相手の気持ちを知りたいって人は、

きっと誰に対しても、

 

 

 

「あの人は私のことをどう思ってるんだろう?」と気にしてるんじゃないかな?

 

 

 

 

それが、人への不安とか、不信に繋がるんじゃないかな?

 

 

 

そういう人は、まず、

自分がどう思ってるか分かってなくて、

自分のことが不安で、

自分を信じられない人なんじゃないかな?

 

 

 

自分で自分がどう思ってるか分かってれば、

誰が自分をどう思ってるか?なんて、

気にならなくなるんだよ。

 

 

 

「あの人は私のことをどう思ってるんだろう」

 

 

 

"相手の気持ちを確かめたい"と思ってる。

 

 

 

それは、

自分の気持ちがハッキリしてないのに、

相手に先にハッキリしてよ!

と言ってるのと同じ。

 

 

 

 

ある意味、身勝手なんだよね?

 

 

 

だから、まず、

 

 

 

「自分が自分をどう思ってるか?」

 

 

 

ということをハッキリさせよう!

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、人がどう思うか?より、

自分が思ってることをハッキリさせる。

 

 

 

これで、自分に対する不安や不信が、自信に変わるんだよ。

 

 

 

 

自分に自信が持てると、

誰にどう思われるか気にならなくなるし、

誰にどう思われても大丈夫になるんだよ。

 

 

 

今の私はそんな感じ。

 

 

 

自分が思ってること(願い)をハッキリさせる(思考)。

 

 

 

それは、「男性性」の役割なんじゃないかな?

 

 

 

こういうことが、

現実の「男」「女」の関係に比例していく。

 

 

 

 

男性が女性のことをしっかり考え、ハッキリさせると、

女性の不安や不信がすくなくなり、信頼に変わる。

 

 

 

と、私は考えています。

 

 

 

 

愛は「する」ものではなく自然と生まれるもの

 

突然ですが、

 

「愛してる」

 

という言葉に、

私、疑問というか、

違和感を感じるんです。

 

 

こんなこと書いたら、

私の心に何か問題がありそうですね。

 

 

本来なら、女性だったら、

そんな言葉、言われたいもんね。

 

 

でもね、私個人的な考えだけど、

「愛」とは

「する」ものじゃないんじゃないかな?って感じます。

 

 

 

今回は、私個人的に思う

「愛」について書こうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「愛」とは目に見えないもの。

だから、"心に感じる"ものです。

 

 

 

もしも、愛を物質的に捉えると、

愛とは、"心に持つもの"なんじゃないかな?

 

 

 

 

だから、愛を、

「愛してる」という言葉にして、

動詞的に使うのは、

なんか無理を感じるんだよね?

私は‥

 

 

 

 

例えば、人との関わりの中で、

楽しい

嬉しい

面白い

悲しい

苦しい

 

 

などの感情を共有し合うことで、

 

 

信頼

尊敬

安心

 

 

などが生まれます。

 

 

 

そして、

支えあったり、

協力し合ったりして、

お互いを補い合っていく。

 

 

 

こんな関係から、

心の中にいつの間にか生まれるもの「愛」なんじゃないかな?

 

 

 

だから、「愛」とは、

自分で感じるもので、

自然と生まれるものなんじゃないかな?

 

 

 

よく、

「愛されたい」

「愛して欲しい」

 

 

 

とか言うけど、

 

 

 

それって、

相手に求めてる言葉なんだよね。

 

 

 

ということは、

自分で愛を感じられない、

自分で愛を生み出せないってことなんだよ。

 

 

 

だから、

愛を、誰かや何かに

求めている限りは、

愛を感じることはできないんじゃないかな?

 

 

 

愛は自分の中で生まれて、

時には小さくなることもあるけど、

自分自身で大きくしたり、

増やしたりして、

育てていくものなんじゃないかな?

 

 

 

 

ということは、自分の心の中の

「男性性」と「女性性」もたくさん関わり合うことで、

 

 

 

楽しい

嬉しい

面白い

悲しい

苦しい

 

 

などの感情を共有し合い、

 

 

信頼

尊敬

安心

 
 
を育てていく。
 
 
つまりは、
 
 
 

信頼

尊敬

安心

 

 

 

が、愛の本質なんじゃないかな?

 

 

 

 

 

 
 

 

だから、

 

 

 

「愛してる」

「愛する」

 

 

 

なんて、私には変な言葉なんだよね。

 

 

 

 

相手が自分に

好意があるかないか?で、

 

 

 

好意があるから愛されている。

好意がないから愛されていない。

 

 

 

 

そういうことじゃないんじゃないかな?

 

 

 

 

屁理屈こねてるようだけど、

伝わる人がいるといいな

 

 

 

 

理想の男性像:私の幸せのために一緒に生きてくれるひと

 

私には、この人がそうかも?と感じたツインレイの片割れと思われる人がいます。

 

バッタリと35年振りに再会した人でした。

 

その日からもうじき5年が経とうとしています。

 

あの日以来、一度も会っていません。

 

約5年、ツインレイというものに揺さぶられてきて、離婚もしたし、経済的自立も果たし、やっと安定した生活を手に入れました。

 

それでもお相手との状況は何も変わっていません。

 

あの人はツインレイだったのだろうか?

 

今ではそれすら分からなくなっています。

 

ただ、今の私にやっと分かったことがあります。

 

私は、父親、男性というものに、嫌悪感のようなものをずっと持っていたようで、

これまでずっと、理想の男性のイメージが湧きませんでした。

 

 

だけど、やっと私の理想の男性のイメージが湧いてきました。

 

 

ツインレイという存在に、これでもかと無視され続け、ずっとその痛みに耐えてきたけど、

そもそもそんなことをやってるから、理想の男性像なんて描けなかったんだ。

 

 

私の理想の男性は、ツインレイと思われる男性と真逆の人だと、ようやく分かりました。

 

 

無視しない人

連絡をくれる人

自由に会える人

私を大切にする人

私の願いを聞いてくれる人

学歴、収入、地位に執着してない人

頑固じゃない人

金使いが荒くない人

高級品で自分を演出しない人

女性差別しない人

威張らない人

ザコンじゃない人

仕事人間じゃない人

世間体重視じゃない人

 

 

 

ツインレイと思われる相手は、

上記の真逆の人で、私が毛嫌いする要素だらけの人です。

 

 

そんな人は私には合わないよ、ということを、大嫌いな男性として現れて、教えてくれたんだと分かりました。

 

 

私は、

仕事でもなく、

学歴、収入、地位でもなく、

高級品でもなく、

世間体でもなく、

自分の評価でもなく、

 

 

私を世界で1番大切にしてくれて、私の幸せのために一緒に生きてくれる人が、私の理想の人だと、やっと分かりました。

 

 

今まで、男なんてみんな同じだと思ってきたけど、私を1番にしてくれる人を探そうと思います。

 

 

やっと、理想の男性像を見つけられました。

 

 

ツインレイと思われる男性のおかげです。

 

 

もう、その人がツインレイかどうかより、そんなことは卒業して、私が私の理想の人を選んていこうと思います。

心から出て行かない人

もう何年も心から出て行かない人がいる。

追い出したくても追い出せない。

 

追い出したいと思っているつもりじゃなかったけど、よく考えてみたら追い出そうとしてたのかもしれない、と気づいた。

 

 

追い出したくても追い出せない人。

もうそろそろ5年になる。

離れたまま、会ってもないし、連絡すらできない環境。

 

 

心から出て行かない人は、私が望んでいるわけではないのに、この5年、私の心に住み続けている。

 

 

迷惑だけど、この5年、私の心に住み続ける人は、もしかしたら、捉え方を変えると、「ずっと心の中では一緒だった人」とも受け取れるなぁ、と。

 

 

「出て行って欲しい」ではなく、「ずっと一緒だ」と思ったほうが心が楽なのかもしれない。

 

 

出て行って欲しいと思いながらも、

私が心から追い出せないのは、もしかしたら、私はその人を待ってるのかも知れないし、

相手を信じてるのかも知れない。

 

 

私は待つのが苦手。

行列の人気のお店にも極力並ばない。

そんな時間があるなら、他の空いてるお店を探す人。

 

 

誰かを信じるというより、私は自分を信じる人。

自分以外、誰もあてにならないから。

 

 

だけど、私は待ってるような気がするし、誰かを信じようとしてる気がする。

 

 

私はその人のために、強烈に苦手なことをさせられている。

 

 

きっとその人も、この5年、強烈に苦手なことに取り組んでいるということなのかも知れない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元夫からの無償の愛

 

私が私の経験や考えを書くこと。

 

 

 

 

これが、誰かの何かの役に立てると思い、ブログを書いています。

 

 

 

 

だけど、こうやってブログを書くことは、自分の気持ちを整理することにも繋がっています。

だから、誰かのためだけでなく、

自分のためにも役に立っています。

 

 

 

 

そして、あることに気づきました。

 

 

 

 

離婚前から、色々とパートナーシップのことを考え、悩み、結局私は、離婚を選びました。

 

 

 

 

今は元夫、息子2人と家族を続けながら、経済的自立をすることができました。

 

 

 

 

それには、この3人の協力と理解は不可欠で、特に、離婚したのに私を支えてくれている元夫の存在はとても大きいです。

感謝しています。

 

 

 

 

離婚前は、元夫に対して、

感謝なんてほとんど感じたことなかったのに‥

 

 

 

 

私は、慰謝料をもらっていません。

元夫にはそんなお金はなかったからです。

 

 

 

 

そんな彼は私に対して、

私の生活に必要な消耗品や食品を、今も一緒に買い物に行ったついでに買ってくれています。

 

 

 

 

それを申し訳なく思った私が、

 

 

 

 

「いつもすいません」

 

 

 

と言うと、

 

 

 

「今の俺にはこのくらいしか出来ないから」

 

 

 

 

と言ってくれ、私はそれに甘えることにしました。

 

 

 

 

彼は一人暮らしの経験があり、

家事全般は元々出来る人で、

結婚相手として、私はそういう人を選んだことは大正解でした。

 

 

 

 

 

離婚当初は不慣れだったけど、

今は炊事、洗濯、掃除、子どものこと、学校のこと、町内のこと、全部やってくれています。

 

 

 

 

 

更に、普通に仕事をしてるわけだから、本当に大変なことをこなしてる人です。

 

 

 

 

 

こんな元夫のおかげで、

自分の生活を成り立たせ、

家事から解放され、

私は自分らしく生きられるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は、私とは復縁はないことを分かりつつも、私に見返りを求めることなく、

ただ、私の力になろう、サポートしようと強く思ってくれているんだと感じます。

 

 

 

 

 

私、やっと気づいたんです。

こういうことが"無償の愛"というんだな、と。

 

 

 

 

今私は、"無償の愛"を受けて生きているんだ。

 

 

 

 

そんな私は、とっくに幸せ者だった!

 

 

 

ということに気づけました。

 

 

 

 ⭐️⭐️⭐️

 

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