ツインレイ 私の最終地点
ツインレイって何なの?
魂の片割れ
運命の人
唯一の人
とか言うけど‥
そんな2人は簡単には結ばれなくて
結ばれるためには、
たくさんの試練を乗り越え、
魂を成長させ、
経済的自立
精神的自立をし、
執着・依存を手放さないといけなくて、
ありのままの自分で生きられるようにならなければいけない。
みたいに言われてるけど、
本当にそうしないといけないのかな?
それって、
ツインレイという未知のものの情報に振り回されてるだけじゃないの?
ツインレイと成就するために、
情報というレールに乗せられてるだけじゃないの?
と私は思うようになりました。
それは例えば、
たくさん勉強して、
いい成績をとり、
一生懸命頑張って、
良い大学に行けば幸せになれると思わされてきたことと同じなんじゃないかな?
世間がそういう流れだからと、
その通りに良い大学に入り、良い会社に就職することが本当に幸せなのかな?
ツインレイについても同じなんじゃないか?と。
こうすれば幸せになれるという教えや情報に乗ることは、敷かれたレールに乗ることです。
敷かれたレールに乗るってことは、自分を生きてないってことじゃないかな?
私、ツインレイという概念に出会い、5年が過ぎました。
ツインレイの記事、YouTube、タロット動画にしがみついて、そこからの情報で一喜一憂したり、自分を励ましたりしてきました。
だけど最近、だんだん心に響かなくなってきました。
そんなのどうでもよくなってきました。
それは、どんどん本当の私に戻ってきたからなんじゃないかな?って。
誰かに頼りたくて、
話を聞いてほしくて、
ツインレイ統合の看板をつけてる人のセッションを何度か受けてみたけど、継続する気にはなれませんでした。
それは、私にとっては、誰かの言いなりになることだったから。
私は人の言いなりになり、
敷かれたレールに乗る人生を送ってきていません。親が敷いたレールからも、世間の常識からも脱線したような人生でした。
私はそんな自分の人生を後悔してないし、恥ずかしいとも思ってなくて、誇りに感じています。
私はそれでいいんじゃないか?と。
ツインレイが再会するためには?
ツインレイが統合するためには?
って、それは本当に望んでることなの?
ツインレイの無条件の愛、
無償の愛を手に入れるために、
ツインレイにはサイレント期間があり、
色々な試練を乗り越え、
魂を成長させ、
経済的、精神的自立をし、
執着・依存を手放さなければいけない、
人のための仕事で起業するとか、
「ツインレイだから」
という条件にしがみついてるエゴにしか過ぎないんじゃないか?
それは愛ではないんじゃないか?と私は思うようになりました。
そういうところから脱線して、
ツインレイかどうかじゃなくて、
何か条件をつけず、
自分で考え選んだ道を歩くことが、
自分への無条件の愛なんじゃないかな?
つまりは「自分軸」が自分へ究極の愛なんじゃないかというところに辿り着きました。
ツインレイかどうかなんて、関係ないのです。
言って欲しい言葉
自分の心って分かりづらい。
真逆の方向に向いてしまうことがたくさんある。
だけど、今、私が一番欲しい言葉は何?
と問いかけてみたら
「今までごめん。待たせすぎてごめん。なるべく早く迎えに行くから!」
こんな言葉があれば、一気に不安はなくなり、安心できるんじゃないかな?と思いました。
素直に生きてきたつもりだったけど、捻くれていたなぁ、と気づきました。
そんなの無理に決まってるから。と思い続けていたけど、無理でもいいから、素直な気持ちは表にださないとね。
言って欲しい言葉
自分の心って分かりづらい。
真逆の方向に向いてしまうことがたくさんある。
だけど、今、私が一番欲しい言葉は何?
と問いかけてみたら
「今までごめん。待たせすぎてごめん。なるべく早く迎えに行くから!」
こんな言葉があれば、一気に不安はなくなり、安心できるんじゃないかな?と思いました。
素直に生きてきたつもりだったけど、捻くれていたなぁ、と気づきました。
そんなの無理に決まってるから。と思い続けていたけど、無理でもいいから、素直な気持ちは表にださないとね。
自分で決める!ツインレイのサイレント期間の終わり
私はツインレイと思われる男性から拒絶され、ブロックされてから、多分4年半以上経っています。
これをサイレント期間というんだと思います。
その間、私は離婚し、家族とはそれまでの関係を続けながら、今は契約社員という形で経済的自立をしています。
サイレント期間が終わるのは、お相手の男性から連絡がくることだと思ってたので、未だ連絡が来ないことは、まだサイレント期間が終わってないことだと私は思っていました。
だけど"それは違うんじゃないか?"と思ったので、今ここに書いています。
サイレント期間の明け方は人それぞれだと思うので、これから書くことは、私なりのサイレント期間の終わりという話です。
私は今、サイレント期間という、お相手と会えない、連絡が取れないという寂しい時間を過ごしているのか?と考えてみると、"それは違うな"と思っています。
今、私は充分に幸せだからです。
私は随分と前から、ツインレイという言葉や概念から距離を取るようになりました。
なんとなく、ツインレイに拘っているから自分を見失ってるような感覚がしたからです。
ツインレイのお相手とどうこうなるためじゃなく、私は一生懸命に頑張って、離婚後の自分を支えてきました。
とはいっても、ツインレイという言葉を知ってから、スピリチュアルな情報を自分なりに学んできました。
自分らしいとは何?
精神的自立とは?
自分を認めるとは?
自分を許すとは?
といったことを自分なりに探求してきて、
私は今、それなりに自分らしく生きてるし、
自分を認めてるし、
自分を許しています。
生まれ落ちた瞬間から、私は一生懸命に生きてきました。
そんな私に私は感謝しています。
帰れる家があること
眠れる布団があること
毎朝目覚めることができること
当たり前のことすら、当たり前じゃないと感謝できるようになりました。
今まで当たり前だったことに感謝できて、これまで自分が生きてきたことをありがたいことだと思えるようになりました。
こう思えることで、既に私はずっと幸せだったと気づけました。
今の私の中には、「ツインレイとどうなるか?」ということが、あんまりありません。
私は、ツインレイとどうなりたいからと目標を立てて今生きていません。
私はツインレイなしで、今はそれなりに私を幸せにしています。
そして、未来にもツインレイが居なくても、今の私なら大丈夫だと思えています。
「自分の力で自分をなんとかできる」
という自信と自分への信頼、自分で自分の責任を取る、ということが精神的自立というんだと思います。
そして、こういう状況になれたことが、私にとってのサイレント期間の終了なんだと思いました。
ツインレイが居ないから寂しいとか
ツインレイから連絡が来ないから辛いとか
ツインレイのお相手と統合したいから、今はそれまで頑張るとか
ツインレイは起業して経済的自立をするものだとか、
ツインレイはスピリチュアルな仕事をしたほうがいいとか
ツインレイは人を助ける仕事をするものだとか、
「ツインレイだから」という言葉を枕詞のように文頭に付けて、ツインレイに拘る以上、いつまでもサイレント期間は終わらないんじゃないかと、私は思います。
「今、彼とはサイレント期間中だから、魂を成長させないといけない」
と、魂を成長させる目的が、サイレント期間を終わらすことである以上、サイレント期間は終わらないと私は思います。
まずは魂を成長させるという言葉自体が、サイレント期間のチェイサーの役割となっています。
魂を成長させるためにと拘っている以上、サイレント期間にもチェイサーという役割にも拘っているということで、そこから抜けられないと思います。
ツインレイだから
今サイレント期間中だから
まずはこの拘りから抜けないといけない。
自分はツインレイを生きてるのではない。
自分は自分を生きている。
今、サイレント期間ではない。
思い切り自分を発揮して、自分を幸せにしてあげる時間。
そんな風に捉えることで、ツインレイの人生ではなく、自分ための人生を自分で生きているんだ、という意識こそが、私にとっての、ツインレイのサイレント期間の終了です。
彼から連絡が来なくても、サイレント期間の終了です。
こうやって自分の捉え方で終了させちゃう。
こういうことを自分軸といいます。
決まりや普通からはみ出して、捉え方次第で自分軸で生きる。
こういうことが、ツインレイ女性に必要なのだと私は思います。
私はツインレイのチェイサーを卒業します。
私はサイレント期間が終了したことをここに宣言します!
二股男
私が気になっていた人は、複数の女性を同時に相手できる人だった。
二股?三股?そこまでは知らない。
私は以前にも二股をかけられたことがあり、戻って来ると思ってたら、すぐにまた別の女と二股かけられた。
もちろん別れた。
この出来事の教訓は、同時に複数の女の相手ができる男の病気は治らないってこと。
許すことが愛なら、私は愛のない女でいい。
股かけて、日を変え別の女を抱く男なんて、気持ち悪い。
どんな神経なのか?
どんな顔してるのかと想像すると、吐き気がする。
触られたくもない。
顔すら見たくない。
そんな気持ち悪い男を許すより、
そんな男を許せない私を許し、
もっと自分だけを大切にできる人を探すことが、自分への愛なんだと思う。
事故になる前に知れて良かった。
神さまが、その人じゃないってことを教えてくれたに違いない。
【傷つきたくない】悲しみから逃げないで
相手への不安の原因/取り除く方法
突然ですが、
「あの人は私のことをどう思ってるんだろう?」
と相手の気持ちに不安を持つこと、
ありますよね?
私にも経験があります。
ただ、いつの間にか、
私がそう思うことは、ほぼなくなりました。
私がそう思わなくなった理由を考えてみました。
相手の気持ちを知りたいって人は、
きっと誰に対しても、
「あの人は私のことをどう思ってるんだろう?」と気にしてるんじゃないかな?
それが、人への不安とか、不信に繋がるんじゃないかな?
そういう人は、まず、
自分がどう思ってるか分かってなくて、
自分のことが不安で、
自分を信じられない人なんじゃないかな?
自分で自分がどう思ってるか分かってれば、
誰が自分をどう思ってるか?なんて、
気にならなくなるんだよ。
「あの人は私のことをどう思ってるんだろう」
"相手の気持ちを確かめたい"と思ってる。
それは、
自分の気持ちがハッキリしてないのに、
相手に先にハッキリしてよ!
と言ってるのと同じ。
ある意味、身勝手なんだよね?
だから、まず、
「自分が自分をどう思ってるか?」
ということをハッキリさせよう!
そして、人がどう思うか?より、
自分が思ってることをハッキリさせる。
これで、自分に対する不安や不信が、自信に変わるんだよ。
自分に自信が持てると、
誰にどう思われるか気にならなくなるし、
誰にどう思われても大丈夫になるんだよ。
今の私はそんな感じ。
自分が思ってること(願い)をハッキリさせる(思考)。
それは、「男性性」の役割なんじゃないかな?
こういうことが、
現実の「男」と「女」の関係に比例していく。
男性が女性のことをしっかり考え、ハッキリさせると、
女性の不安や不信がすくなくなり、信頼に変わる。
と、私は考えています。

