とっても大切なことに気づいた。
私は高校受験の失敗を経験していて、それが私の人生で一番大きな転機となることだった。
その失敗は、それまでの自分の人生がリセットされるような出来事だった。
悲しくて、苦しくて、これからどうやって生きて行こうかと、もがき続けた3年間だった。
でも、それがあったから、今の私が居ることは間違いないことは分かってる。でも、何故そんな経験をさせられたのか、やっと納得がいく答えが見つかった。
出来のいい人は、上へ上へと挑戦する。
人と比べ、負けないように戦う。
私はあのまま受験に失敗してなかったら、人と比べ、負けないように戦う人生に向かってた可能性がある。
だけど、負けることはいけないことなのか?
勝ちたいという気持ちは、負けを認められないということ。
勝つために、もっともっとと努力を強いられること。
勝つということは、誰かを負かすこと。
負けないためには現状を良しとできない。
いつも不足感。
それは自分を認められないこと。
負けないためには、努力しつづけないといけない。
勝つって、しんどいことばかりだと思う。
私は高校受験の失敗で、負けを認めた。
それには相当な心の整理が必要だったけど、私がそれにより手にしたものがわかった。
負けて、上に上がることを諦めたことで選択肢が減ったけど、その中で自分ができることを見つけられるようになったんだと、気づいた。
周りの同級生は、ある意味、上に上がることを諦めた子たちばかりだった。
でもそれは、自分の実力を認めてる子たちだったんだと気づいた。
勉強が出来なくていい。
上を目指せなくていい。
社会の弱者でもいい。
そんな自分に、何が楽しいんだろう?と考えられる子たちの中に、私は入れてもらったんだと気づいた。
勝つことが強いんじゃない。
自分のダメさ、弱さを認められることが強さだ。
そこから自分に合った楽しいことを見つけられる人こそ、賢い。
もっともっとと上を目指し、自分が勝つことで誰かを負かし、負けを認められず、負けたら崩れ去るようなメンタルは、本当に強者なのか?
負けを認められない人は、弱者も認められない。だから偉そうにして弱者にマウントを取ったりするんだろう。
それが強さなのか?
弱者は勝てないことが分かってるから、戦おうとしない。だから戦いのない世界に居られる。
負けを認め、戦おうとしないことのほうがよっぽど賢い。
戦わずとも、自分なりの幸せを見つけていける素晴らしい存在なのではないか?
自分のダメさ、弱さを受け入れられた人は、当然自分のダメさ、弱さを感じてる人の気持ちが分かる。それは、優しさ。
賢さを使って、勝って誰かを負かし、上に登ることが強さなんだろうか?
負けを認め、同じような誰かに優しくできる人のほうが、よっぽど強く賢いのではないか?
私は、高校受験の失敗で、戦うこと、勝つことで誰かを負かすことから、弱者目線の生き方を学んだんだと思う。
それこそが、人間にとって大切なことだと思う。
私は、高校受験の失敗に感謝したいと思う。