miyabia’s blog

50代のシングルライフ

数字で出す結果はまやかし

 

私、離婚して3年5ヶ月が過ぎました。

離婚直後のコロナにより無職となり、独身時代に貯めた貯金は底をつきました。その貯金があれば余裕で自立できる計算だったのに、どうにもならなくなりました。

 

だけどそんな中、今の職場に採用され1年7ヶ月が過ぎ、やっと経済的になんとかやれるだけのお給料が貰えるようになりました。

お給料は、お金という数字です。その数字は大きい方がいい。

 

だけど、数字ってまやかしだと思うんですね。

数字って大きい方がいい場合と、小さい方がいい場合があるからです。

 

 

例えば、通知表。

5段階評価なら、5が一番いい。

だけど、5人のかけっこだと、一番ビリなわけです。

 

例えば、健康診断。

数値は低い方がいい。

だけど、テストの正解率は高い方がいい。

 

実は、数字は大きい方がいいわけでもないし、小さい方がいいわけでもないわけです。

 

高い方がいいなら全て高い方がいいとした方がいいと思うし、低い方がいいなら全て低い方がいいと、統一されてない。

 

こういった数字で表される良し悪しって、人間がその場合により、都合よくつけたものだと思うんです。

 

だから、実はあんまり意味がないのでは?

と私は思います。

 

 

例えば、前回のテストが30点だった子が、すごく努力して50点をとったとする。

一方、前回のテストが100点だった子が気を抜いて80点をとったとする。

 

誰もが80点をとった子を褒めるでしょう。

すごく努力した子は、もっと努力しなさい、頑張りなさい、と言われるでしょう。

 

私は、努力して20点アップした子のほうが、断然素晴らしいと思います。でも、結果は50点。

 

この数字の結果は意味がないと思います。

 

「数字が全て」だとか「結果が全て」とか、男性はよくいうけど、私はそう思いません。

 

努力して20点アップした子の努力が、どこにも反映されてない。

 

その努力とは、コツコツとやるものだと思うんですね。

その見えないコツコツを評価していくのが、これからの時代だと私は思っています。

 

そのコツコツは、誰にも分からない。

自分にしか分からない。

 

だから、これからは数字により見える形で人から評価されことではなく、自分でしか分からない努力を数字ではなく、自分の感覚で自分自身で評価する時代に変わると思います。

 

 

大きい方がいいとも限らない、小さい方がいいとも限らない数字はまやかし。

 

見えない部分が真実ではないでしょうか?

 

 

 

私が後悔しないわけ

 

私、本当に後悔ってあんまりしたことがない。

何でかなぁ?と考えてみた。

 

まずは、私は自分を優先してきたから。

 

親の意見に従うとロクなことにならなくて、

 

「親の言いなりにならなきゃ良かった。」

「失敗した。」

 

と思うことが何度もあった。

 

だから、もう親の意見は聞かないと決めたことが始まりだった気がする。

 

親の意見や周りの状況に惑わされずに、自分で決めて行動することに決めた。

 

 

だけど、自分で決めたことでも、やらなきゃ良かったと思ったことも、多分あった。

やらなきゃ良かったと思うということは、失敗したと思う気持ちと同じで、その失敗したという気持ちが後悔になる。

 

 

何かの選択を迫られ、どちらかを選ばないといけない時は、きっと多くの人は失敗しない方を選ぶと思う。

 

だけど、失敗しない方を選ぶよりも、私は後悔しない方を選んできた。

 

そして、もしも選んだ方が失敗と思う結果になったとしても、

 

「私は後悔しない」

 

と決めて、行動した。

 

「私は後悔しない」と決めることは、

「私は後悔しない」と、自分に約束することです。

 

後悔しないように生きるには、

「私はこの道を選んでも後悔しません」

と、自分に約束することです。

 

私は私を裏切らないから、出来ることなのかもしれません。

 

自分に約束できない人は、他人とも約束できません。

自分が自分にしてあげられないことを、他人にできるわけないからです。

 

 

どうなるか分からないからと、約束をしないではぐらかす人。

 

こんな人は、ズルい人です。

 

約束を破る人は、論外です。

 

 

こんな人は、失敗すると必ず人のせいにする。

人のせいにして、あの人のせいだと後悔するんだと思います。

 

 

後悔しないって、「私は後悔しません」と自分に"約束"できる人しかできないのかもしれません。

 

自分に約束する。つまりは、自分に責任を取れる人じゃないと、後悔しない人生は送れないのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう夢見る年じゃない。

 

パパ(元夫)は少し前に、大型バイクの免許を取りました。

全然知らなかったけど、バイクに乗りたいという夢があったようです。

 

そして、知り合いの知り合いから大型バイクを格安で譲ってもらうらしく、そのバイク置き場を作るために、家の前の花壇の撤去工事を今やっている最中です。

 

そのパパ(元夫)との会話で気づいたことがありました。

 

バイクを盗まれないように、これから防災カメラを設置することや、その防犯カメラは既に購入済みだということを話してくれました。

 

パパは器用なので、色々な修理や取り付けは自分でできる人なので、そのための道具も既に購入済みで、「こうやって設置しようと思ってるんだ」ということも話してくれました。

 

それを聞いた私は、

「夢だねぇ〜」

というと、

 

「夢じゃないよ。もうこの年なんだから、いつまでも夢なんて見てられない。現実にしないと」

 

とパパは言ったんです。

 

「こんなに逞しい人だったんだ」

 

と、離婚したものの嬉しくなりました。

 

 

ほんと、もう人生の半分は過ぎました。

未来に夢を抱くのは若い人。

私たちの年代(50代)は、夢を現実にする年代だと気づかされました。

 

 

男性は現実的で、物質的な夢を抱くようです。

もしも女性で、ブランドバッグが欲しいとか、高価な宝石が欲しいとか、そういう高級品で自分を満たすような夢は、すごく男性的だと思うんです。

 

 

本来の女性は、物質に幸せを求めることはあんまりなくて、単に幸せになりたい。

そう思ってると思うんです。

 

 

でも幸せって、人により色々な形があると思うんです。1つの形じゃない。だから、車だとか、バイクだとか、ブランドバッグだとか、そういった名前はつけられません。

 

 

ということは、女性が思う幸せって、形はないけど、自分にしか見えてないし、自分にしか分からないと思うんです。

言葉でもなかなか説明しづらい。

 

 

だから、女性が求める幸せって、自分でしか与えられないと思うんです。

誰かに幸せにして欲しいと思っても、外側から与えられるものではなく、内側から満たされたいと思うのが女性なんだと思います。

 

女性は、自分でしか自分を幸せにできない。

 

そう思います。

 

 

人生は1日1日と減ります。

だから、「1日をどんな風に楽しく過ごすか?」ということが大切なんだと思います。

 

 

やりたくないけどやらないといけないこと。

当たり前と思って毎日続けてること。

 

そういうことを少しずつ手放して、

 

やりたいことをやる。

今までやったことないことに挑戦してみる。

 

こういった方向にシフトすることで、これまでと違った幸福感を得られると思います。

 

女性の幸せになりたい!という夢は、自分でしか叶えられない。

 

もう夢見る年じゃない!

現実にしないと!

 

 

 

 

 

 

 

女性は追ってはいけない

 

男性はハンター。追う側です。

だから男女関係で追うのは男性の役割です。

 

だけど、女性が追うことも多いかと思います。

 

何で女性が追う側のハンターになるかというと、男性が女性を追わなくなったから。

 

男性は、学歴や収入、地位や名誉を追うようになり、女性を追わなくなりました。

 

「女の尻を追うのはみっともない」

という価値観から、

「男は女に追わせるもの」

という価値観に変わったのかもしれません。

 

だけど、男性が追うものが変わり、女性がハンターとなることが、世の中を歪めているんだと思います。

 

女性は、

「男に追わせる女」が正しい姿だと、私は思います。

 

だから女は追っちゃダメ!

 

女は涼しく顔して、追わせてればいい。

 

 

どの責任をとるの?

あたしはあの頃、

自分から避けたんだからと、

自分が避けたのに今更何考えてんだって、

自分から離れた。

 

それは自分のしてしまった行動に責任を取ったんだよ。

 

キミももしかしたら、自分のしてしまった行動に後悔してるのかも。

 

いまさらだし、

男としてのメンツもあるし、

許してもらえるのかも分からないし、

自分のしてしまったことに、

後悔して、責任も感じてるのかもしれない。

 

 

あたしは、離れることに責任を取ったけど、キミはあたしができなかった、正直な気持ちを伝えるという責任を、負ってる気持ちがしたんだよね。

 

 

あたしができなかったことを、

キミがやるという責任。

伝わるかな?

 

それはキミ自体できなかったこと。

 

あたしができなかったこと、

キミができなかったこと、

その両方を乗り越える責任があるんだと思ったんだよね。

 

伝わるかな?

 

キミはこれまで、いろんな責任を背負わされてきたんじゃない?

多分キミには責任を果たす課題があったからだよ。

 

それは、誰かの期待や責任を負うことじゃなくて、

自分の気持ちの責任を取ることだったんじゃない?

 

あたしが乗り越えなかったこと、

キミが乗り越えるんだよ。

 

離れることで責任を取るんじゃなくて、

離れない責任を取ることなんじゃないかね?

 

 

伝わるかな?

誰が読むかも分かんない。

キミはどの責任を取るんだろうね?

 

あたしには、それは関係ないことなんだよ。

あたしが決めることじゃないからね。

 

ただ、どの責任を取ったとしても、

キミの活躍を応援してます。

それだけ。

 

男性が求めてたら誰も幸せにならない

今、YouTubeで、お坊さんが言ってた。

 

男性は太陽。女性は月。

月は太陽の光があるから輝ける。

 

女性は男性のエネルギーを受けるもの。

 

だから男性が女性を愛するとは「与えること」だそうです。

 

与えられる側の女性に、男性が求めてたら、女性はどんどん輝けなくなる。

 

女性は男性の愛というエネルギーを受け、

癒やしたり守ったりのエネルギーに変換するんだそうです。

 

男性が女性を愛すれば愛するほど、女性は男性を癒やし、守るんだそうです。

 

 

男性が与える愛とは、お金ばっかりじゃなく、責任を果たすことでもなく、女性に"言葉"を与えてあげるのが、女性は一番喜ぶことなんじゃないかな?

 

与えもせず束縛したり、求める男性が多いのではないかな?

 

男性が女性を幸せにしてあげると、女性から幸せが返ってくるんだと私は思います。

 

女性の出方を待ってるようでは、誰も幸せにはなりませんよ。

 

女性を既読・未読スルーなんてする男性は、そもそも幸せになれないのです。

 

男性は、想いを伝えることが与えること。つまりは愛なんだと思うんだけどね。

 

 

 

もしも私が強いとしたら

 

何日か前、

 

「あなたはどうしてそんなに強いのか?」

 

のようなことを言われました。

 

私が自分を評価するなら、私も私は強いとは思います。

 

だけど、強くなろうとして強くなったのではありません。

 

私がもしも強いとしたら、

「勇気」を使ってるからだと思います。

 

私はどんなことに勇気を使っているかと考えると、

 

「こんなことしていいの?」

「こんなことできるの?」

 

こんなことに使います。

 

勇気って、恐いものを乗り越える時に使うものだと思います。

 

私がもしも強いとしたら、

勇気を使って、恐いを乗り越えてきたからだと思います。